雨ニモマケズに隠れた、宮沢賢治の悔しさ
雨にも負けず風にも負けず・・・・そういうものに私はなりたい。
と有名な詩があります。
この詩を書いたのは晩年近くの35才です。この頃には病中だったのかもしれませんね。1933年37歳という若さで亡くなりました。
彼のこの時の気持ちをリーディングしてみたいと思います。
「私は子供たちに教えていたが、実際に教えることは座学よりも働くことだ。それを先生として見せなければならないと思ったわけだが、もともと丈夫でない私は、教師も農業も働くことが難しい。もっと強くありたかった。もっと体が丈夫な人間で生きていたかった。私の役割は何だったんだろうと思って悔やんでいる。人として示しができたんだろうか?」
という無念さを感じてきます。
もともと丈夫でないという事ですが、幼いころから病弱だったんですか?
「入院してからだね。寝込んじゃいられないなんて言って働いたから。それが祟ったんだと思う。挙句にこれだから。悔しい」
この詩はそんな悔しさの中で書いたわけですね?
「寝床の中で、明日には元気に働かなきゃということを願いながら、朝、目が覚めては悔しくて、働かなきゃならないのに」
彼の身体が動かない姿をみていると、泣いているように見えました。
リーディングで以上のことが聞けました。
これは、あくまでも私のリーディングなので、話している時と彼の感情が入ってきたことを書き綴っています。
エビデンスの話ではありません。
子供たちに、知識だけでなく実際に働く姿を見せたかった。
しかし、自分の身体が思うように動かない。
自分が果たすべき役割を果たせなかったのではないか、という悔しさ。
がにじみ出ていました。
自分が信じる生き方を実践できないことへの苦悩だったんだと思います。
彼の人柄がでますね。私は彼が勉強しか興味が無いのかと思っていたのですが、勉強を沢山してわかったんでしょう。
働くために生きているんだという事を彼は伝えたかったように思います。






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