平治の乱(1159~1160)

平清盛(1118~1181年)父平忠盛の長男として京都で誕生しました。
平安時代の終わり近くに、起きた、保元の乱、平治の乱があります。
源氏を討伐するための陣頭指揮を執るさなかの1181年、清盛は突然のあおられるような高熱に見舞われ亡くなりました。

その平治の乱の前の保元の乱ですが、崇徳上皇と弟の後白河天皇の間で皇位継承と院政の対立のことです。
平清盛は後白河天皇方について勝利し、平氏が武士として政治的地位を大きく高めていきます。

この時、後白河天皇側には平清盛と源義朝が味方同士として、崇徳上皇側と戦ったのですが、
後に与えられた恩賞(官位や領地)には、平清盛と比べてあまりにも大きな差がありました。

そのことから、「昨日の友(味方)は今日の敵」となってしまったのです。この戦いを平治の乱といいます。
源義朝は敗北したために、その息子頼朝と義経が父の無念を晴らすために平氏に立ち向かう「源平合戦(治承・寿永の乱)」へと続いていきます。

平治の乱になるまでの流れはこんな感じです。
平治の乱が有名なのは、やはり清盛が留守の内に城へ入って焼き尽くしていく源氏側ですが、平清盛は源義朝が幽閉していた二条天皇の脱出を成功させ、義朝は天皇を閉じ込めていた「ただの誘拐犯・大逆転の悪者(賊軍)」の罪にさせた清盛の作戦勝ちで源氏没落となりました。

この物語を詳しく知るととても面白い内容です。平治物語というのがあります。

以下お三方をリーディングしてみます。

源義朝
俺様というタイプですね。頭が良くて、勝つのは俺だと常に思う人です。

「俺に勝てるわけがない、見ろ平清盛も俺には勝てぬとわかっているんだ。」
と思っていました。

でも、最後大まぬけでしたね。あなたが飲んだくれている間に二条天皇が女装して幽閉から脱出していました。
「何を言う。あれは俺のせいじゃない。きちんと管理していなかった信頼が悪いんだ。大馬鹿野郎が。」
と人のせいにしておりました。

平清盛
静かなものの話し方です。
「信西の知恵があった。とても頭が良い。故に目だって狙われやすい。身を守るという腕がないために、残念だった。」

二条天皇を逃がすということについては怖くありませんでしたか?
「失敗するとは考えていなかった。戦う事より、知恵を使えと思っていた。」

いきなり信西になりますが、後白河法皇と信西は深い信頼関係であります。そして信西の配慮で、清盛を贔屓?していたことから恩賞(官位や領地)の格差を与えるようにしていました。これがきっかけで、義朝が乱を起こしたのです。

信西
義朝がクーデターを起こすことは予知していたのですか?
「荒くれなので、するかもという事は考えていた。清盛にはその時は、この作戦を教えていた。もともと平清盛の方がお金もあるし、地位もある。彼が勝てば、私を守ってくれるだろうと考えていた。そううまくはいかなかったが、荒くれの武将では周りが付いてこないと言うのもわかっていた。」

と面白い話が聞けました。
これは私のリーディングなので、史実や小説の文章ではありません。