お市

2026-08-24

付け足し8月24日5:45
私が見たビジョンは島田まげだったのですが、肖像画は垂れ髪です。調べてみました。
笄(こうがい)というのを夫の形見として戦いに行く時に渡していく風習があったと言うのが残されています。この笄(こうがい)は男性のものです。鎧の中、髪の毛が痒いとか、髪型を直すために持っています。これを渡したとなれば、笄(こうがい)を肌身に付けるにはたれ髪では、さすことが出来ませんので結ってそれで留めていたという時代の流れがあったというのが見えてきました。
髪の毛を結うのは室町時代ではありえないが、安土桃山時代の高位の女性は結っていたという事が歴史上の文章で残されているようです。「駒井日記」に、秀吉が正室や側室、大名夫役らを伴って公式の場に現れる際、彼女たちの髪型は「唐輪(からわ)」や「兵庫髷(ひょうごまげ)」と呼ばれる、髪を頭の上で大きく華やかに結い上げたスタイルであったことが記されています。

歴史を調べるのは新しい知識に辿り着けるものですね。

--------------------------

織田信長の妹お市です。
浅井長政と結婚。長政との間に3人の娘(茶々・初・江)と息子らがいました。
織田家と政略結婚で、朝倉家とは戦わないというかつてからの約束もしていました。
しかし、織田・徳川連合軍が、朝倉領に侵攻したために、浅井長政は朝倉家に付きます。
お市はそれに従いました。
1570年姉川の戦いで浅井、朝倉家の敗北し、武田信玄や、足利義昭と組んだ後、武田信玄が亡くなるやいなや織田、徳川が浅井領へ襲撃にはいり、浅井家が敗北。浅井長政は自害しました。
お市は織田家に戻ります。織田信長が死亡し、織田家の勢力争いが始まってから、柴田勝家の嫁になります。1583年 織田と賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗北。勝家とお市が自害しました。
かなり波乱万丈なお市の生涯でしたが、噂ではかなりの美人だといわれています。
彼女の性格が知りたいと思います。

髪型ですが、島田まげに似ています。平安のような、たれ髪には見えませんでした。
顔ですが、鼻が高いそして顎が長い。長面というのはこういう事を云うように思います。

秀吉の所へ行かなかったのは何故ですか?35才なら側室になれたことでしょうに。

「もう、いいんです。秀吉さまの所へは行く気にはなれません。勝家には悲願して嫁にしてもらっておきながら、負けたから、秀吉さまの所へ行くなんて都合のいいことは思いません。娘たちはもともと勝家の子供ではありませんから、秀吉さまに託したいと思いました。」

リーディングの中の事ですが、私には強い女性というより、勝家に頭を下げる所を見ると、女性らしく、こうでもしないと生きていけないという気持ちの方を感じました。この気持ちはかなりつらかったと思います。もう二度とこのような気持ちになりたくないというのもわかるような気がします。