相手の視点を一人称で体験

最近は小説は読まなくなりました。
小学生、中学生の頃などは小説が大好きでしたけど、いつの間にか、読まなくなっていました。
もともと本は好きで今は色々なジャンルで専門書が多くなりました。

皆さんは小説を読んでいる時、追体験している気分になりますか?
私は相当、その中に入り込んでいく性質があるのだと思う事があります。

まるで自分がそれを現実的に行っているかのような気持ちです。リアルに想像ができてしまう。その反面、別の自分がそれを客観的に見ているという感覚です。

考えてみるとリーディングの時も同じです。霊能力とかの分野ではありません。
リーディングしながらの会話の時は自分という人間から外れないのですが、クライアントさんの過去性をみたり、その時の人の気持ちをリーディングしている時は、その人の内面の中に入ったような感覚です。

客観的な外見なら、第三者として見ていられるのですが、もっと深く知りたくなると、追体験していたり、その人の性格になっているかのような感覚になります。言い方も癖も考え方も本人になっている感覚です。
しかし、その場面を本人の私が、隣で言っているんです「そんなこと知らないだろう?」と言っている自分もいるんです。

こういう体験わかる人いますかね。

頭が変になったと思う時ってそうなっていた時だと思ったこともありました。今では当たり前なので、慣れましたけど。

ただ、リーディングするときは、集中する時間が私には大事で。5分~3分欲しい。

別の自分になる時間にしているようなことなのかもしれません。

この話を聞くと気持ち悪いでしょ?

相手の視点を一人称で体験しながら、それを第三者的な視点から同時に観察しているのですから。

これは特別な能力というより、集中して自分の視点を切り替えていくことで起こります。

集中力で、自分を切り替えていくことができれば、普段感じない、見えないそんな部分に触れるようになります。
怖いものは見たくないですよね?私もですよ。

それでも、「知らない方か怖い」という事もあるんです。矛盾を見抜くことをリーディングはしています。
そのあとに安心があるからです。

例えば考えてみて下さい。
ベッドで寝ていて、ふっと目を開けた時、幽霊がみえるのと、知らない男性が立っているのとどっちが怖いですか?
私は、知らない男性のほうが怖いと思います。
幽霊なら「幽霊だ」と分かります。
でも、知らない男性なら、「誰?」「なぜ、ここにいるの?」「何をするつもりなの?」分からないことが次々に出てきます。

怖いのは、存在そのものだけではなく、「分からないこと」ではありませんか?

疑問や矛盾が解明できれば、その後は納得がきますよね。
リーディングはそんなことに使えるんです。