20年前のブログを読み返しました⑥明智光秀と天海上人
2006/8/7(月) 午後 0:01に投稿されたタイトル「明智光秀と天海上人」ですね。
さて、この二人が同一人物ではないかといわれたりしているので、同じか違うのかをリーディングしていたようです。
現代では、慈眼大師天海は高名な僧だったにも関わらず、その前半生が不詳で謎に包まれていたということが、この両者が同一人物ではないかと言われていたようです。
そもそも、事の発端は、小説家の須藤南翠により、天海=光秀説となり、大正年間にはすで巷間の流説となっていたが、それを裏付ける同時代史料は一切存在していないといわれています。
こんにちは。
お二人をリーディングしてみました。
明智光秀
やや、面長で色好み(^^;;;
どちらかというとむっつりスケベといった感じです。いつも手で鼻を隠すというか、顔を半分くらい隠すようにしている人ですね。
癖なのか、顔を見せたがらない人です。天海上人
出てくるなり別人ですね。もう、エネルギーが違うし、私が視えていらっしゃる。
頭巾をかぶった御坊さんですね。いつも顔を隠しているような明智なので風刺したのが始まりの様な気がします。
現代の私がリーディングしていくと、明智光秀が出てきます。低い烏帽子をかぶった公家のような姿かと思ったら、次の瞬間、鎧姿で兜はかぶっておらず、後ろでポニーテールにしていました。髪型はテレビによる印象なのかもしれませんが。
本能寺の変の事を聞いてみました。以下は光秀の言葉です
「殿を逃がしたのは本当です。(実は以前に本能寺の変の事を聞いた事があります。その時、複数人で信長が逃げている姿が見えました)
私は殿に対して恨みなどありません。私は命を取られても仕方ない失敗をしています。でも、殺さずに生かしてくれました。だから、私は殿を恨んでいません。
殿を討てというのは、逆らえない人(天皇家・公家の誰か)からの命令だったのです。その命に背くわけにはいきません。その様に見せかけねば、信長さまをお守りする事すらできませんでした。
でも、殿を逃がしたその後に、殿は「自分は自害する」という事を述べていました。それよりも今は殿を隠さねばならないと思い、私が囮になりました。殿をお守りするのが私の役割ですから。」
と。
「本能寺の変の不可思議な部分の真意」
光秀が殿を逃がした理由は打ち首の晒しものにしたくないから、
信長は「どうせ天下も取れない大将といわれるなら自害する」という事のような気がします。
二人はみっともない姿を晒したくない気持ちだったのだと私は思いました。
天海上人・・・あれ?頭は剥げているのに白髭があります。まるで仙人のような💦お坊さんなのにちょっと不自然。
この人100才を超えているらしい。100歳まで生きるとなれば仙人のようというのも認められる位だそうです。
声は、かすれ声です。ハスキーなおじいさん。
全然、光秀とは違います。その話をするとそんなわけないだろうという意味で、笑ってました。
ちょっと話は戻ります。
本能寺の変は、光秀による信長への謀反だと言われている理由について色々信長に聞いてみました。
「奴は、わしの戦略を「愚の骨頂でございます」と言い放った。」
そして、ビジョンが変わって
光秀に向かって怒鳴っていました。
「俺が愚かだと?」と言って刀を抜いたが、切らずに
「ならば、平定していない出雲・石見(毛利領国)の領土を与える。お前がそこを収めよ。丹波・近江坂本の所領は取り上げる」と言っていました。光秀は黙って受け止めていました。
光秀が「命を助けていただいた」と言うのはここの部分ではないかと思います。
これは史実を語るものではなく、私がリーディングで受け取った内容の言葉です。






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