三鷹事件の謎

1949年7月6日の下山事件が続き「三鷹事件」が同年7月15日国鉄中央本線 三鷹駅構内で無人電車7両が暴走して車止めを突破、街頭へ突入し、死者6人、約20名の重軽傷者多数を出しました。
理由は「国鉄の人員整理に反対する労働闘争を有利にするための、共産党員らによる計画的犯行」と検察側は主張し逮捕。

労働組合員ら共産党員9人が非共産党員の竹内景助の合わせて10名が逮捕・起訴されました。
しかし、東京地方裁判所では、裁判長:鈴木忠五の判決は、
竹内景助 → 無期懲役
他の9人 → 無罪
検察が主張した「共産党員らによる共同謀議」→ 否定
犯行については、竹内の単独犯行と認定

二審の1951年3月30日の東京高裁では、裁判長:谷中薫が、竹内について一審判決を破棄し、死刑を言い渡しました。一方、他の9人については無罪のまま。
竹内景助は結局1967年(昭和42年)1月18日に収監先の東京拘置所で脳腫瘍のため獄死しています。

そして、竹内の再審請求は現在も続いています。

裁判長の鈴木忠五氏をリーディングしてみました。

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