アテルイ
阿弖流為(アテルイ)は平安時代初期(8世紀末〜9世紀初め)、陸奥国(現在の岩手県南部あたり)で朝廷軍と戦った蝦夷(えみし)の首長です。
802年坂上田村麻呂に降伏し、河内国で処刑されたと伝わります。
アテルイをリーディングしていきます。
髭もじゃのガタイが大きく、もしかして野蛮人という言葉はここから出たのか?と思うような私の印象です。
頭がいいか悪いかの話ではないです。見た目です。
一戦目、資料では蝦夷が勝ちます。
この場面をリーディングしていくと、弓矢で朝廷側を追い詰めていきます。馬術と弓が得意の部族といわれていますが、私は馬は見えなかったです。
森に隠れて朝廷側を谷の方に追い込んで、木々に上って、上から弓矢を入り、朝廷側を袋たたきのような形で勝ったように見えます。弓使いは凄かったように思います。
次に坂上田村麻呂の戦いになりますと、朝廷側は火責めをしていくのが見えます。朝廷側は弓を使うより、火です。木や森を焼き払い、
民家まで火をつけて逃げ回る人達を殺していたようなイメージです。
それを見て、アテルイが自ら名乗り出て、「俺を掴まえろ」と降伏し、戦いが終わったように思います。
アテルイを朝廷まで連れていくのは、逃げているアテルイではなく、自ら捕まりに行ったアテルイが見えます。
これらは全てリーディングで見えたことなので、史実とは異なるかと思います。
資料によるとアテルイは朝廷の命令で殺されてしまいましたが、こういう戦術などを考え出すアテルイを殺すのはもったいないと思った人がいたと思います。
生きたまま連れて行くだけの人物だという事だったのでしょう。






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