満州事変

昭和6年9月18日、関東軍は柳条湖事件を起こしました。

自作自演で郊外の「柳条湖付近で南満州鉄道のレールを爆破し、張学良の東北軍が破壊工作である」と発表し、この口実により、関東軍は軍事行動を起こしたのです。
関東軍の独断決行し、朝鮮軍も加わって、満州全体を軍事制圧していきました。こういう関東軍のやり方から第二次世界大戦への発展へと繋がっていきました。

当初、戦争に伴い資源豊な満州を領有するつもりでしたが、参謀本部からの反対に遭い、満州国という独立国になりました。満州国にラストエンペラーの愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を皇帝とし、満州国を建国したのです。

一方国際社会は満州国を認めませんので、リットン調査団の結果を認め、国際連盟を脱退。その後日本は孤立しました。

その後、東湖停戦協定を結んで、柳条湖事件からの一連の軍事衝突は停止しました。

当時、満州国建国に対して、中国の民衆抵抗は殆どありませんでした。3000万人の共通の敵は張学良政権だったからです。

しかし、この関東軍のやり方に対して日本の政府は問題視していました。満州国を認めない派の総理大臣の犬養が暗殺され、さらに関東軍が政府の方針を無視して行動し、結果、満州国の軍事制圧に対して、次の総理大臣は追認したので、軍が勝手に行動しても良いという風潮になり、収拾不能へと発展していきます。

清朝最後の皇帝であった皇帝「愛新覚羅溥儀」は満州国皇帝になった訳ですが、当時、彼はどう考えていたのでしょうか。

大きな椅子に座ったり立ったりしています。落ち着かない感じです。前に大きな太鼓をおなかの下につるしています。なんとなくお飾りのように見えます。国全体に轟かせる太鼓をたたくようには見えません。力なく、頭をがくっと下げているビジョンです。そのまんまを言うなら、皇帝という力はなく、人生にがっかりしているような感じです。