偉そうに語れないが忘れてはいけない事故

1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村の住友金属鉱山の子会社である核燃料加工施設「JCO」が起こした原子力事故(臨界事故)は大きなニュースになりました。

その付近に住んでいる人がここに原子炉を作らないでほしいという運動していたのも覚えています。

でも、作ってしまったんですよね。そして大きな事故が起きてしまいました。

至近距離で放射能を浴びた作業員三名中二名が死亡し、一名が重症、667人の被爆者を出す臨界事故が発生してしまったのです。

原料であるウラン化合物の粉末を溶解させる工程では、正規マニュアルならば「溶解塔」という装置を用いなければならないというところを、裏マニュアルではステンレス製のバケツで溶解させるという手順を手作業でしていたのです。人がやっていたんですよ。

事故の瞬間、作業員は「約16kgのウラン溶液をバケツから溶解槽に移しているとき、青い光が出たのを見た」と語っています。
青い光は核分裂が連続する臨界が起きたのです。大量の放射線を浴びた瞬間です。

もうすぐ3.11です。この日も被曝者が出ました。今年で10年経ちます。一度、原子力事故の重症の被曝の状態を知っていただこうかと思いました。

被曝の記録を読んでガンになるどころじゃないです。放射線が大量に浴びると染色体が破壊されてしまうのです。どういうことかというと染色体は1つの細胞に46本あり、そのうち44本は常染色体、残りの2本は男女の性別を決定づける性染色体というのを理科で習った様に思います。

その染色体が放射線で破壊されるのです。二枚目のようにバラバラになってしまいました。

こうなってしまうと新しい細胞が作られません。皮膚は剥がれ落ち、粘膜もはがれ、白血球は急激に減り、数日で体液が1日10リットルも流れ出てしまう状態になります。それは激痛の毎日だったと記録が残っていました。

まだ被曝という恐ろしさを知らない時代の事故でした。

被曝から83日間生き続けていた記録です。かなりエグイ映像ですので、心臓の悪い方、精神的なダメージを受けやすい方は顔をゆがめるほどの凄い写真やビデオもありますので、ご覧にならない方がいいと思います。私的には顔を背けずに直視していただきたい。

あれから21年がもう過ぎていたんですね。

そのサイトはこちらです。

日本は被爆、被曝の国です。沢山の犠牲者を出した国です。

世界でも沢山の原子力・核・放射線事故の世界史

と言うのがありますので、ご興味がありましたら。

何を学ばないといけないのでしょうか。

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Posted by Meatel