秀吉が朝鮮出兵した理由

秀吉が朝鮮出兵した1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて、2度行われました。
秀吉の野望としては明との関係を思い通りにしようと考えていたからだと思うのですが、その前の朝鮮に道筋を譲ってくれないかという話が思い通りにいかなかったからではないかと思います。

結局最終的には明軍と講和状態になったのに、話が折り合わず、また戦いがはじまったのです。
しかし、秀吉が亡くなり、撤退することになったと言う話になりました。

秀吉が生きていたら、事は変わっていたように思いますが、歴史的運命は秀吉の寿命が尽きたので、この先までは許されなかったことになりました。

秀吉が明に対して何を求めていたのでしょうか。そして明は日本に対して秀吉を国王と認めましょうという話し合いだったことに対して、秀吉はそうじゃないとなった訳です。
秀吉は明に何を求めていたのか?ですよね。

歴史的に残されたものがあります。
秀吉の和議七か条(文禄2年〔1593年〕6月28日、明使に交付)
一、 明の皇女を、日本の天皇の后として迎える
二、 勘合貿易(正式な国交に基づく貿易)を復活させる
三、 日明の和平を確保するため、両国の大臣が誓詞(誓約書)を取りかわす
四、 講和が成立すれば、朝鮮北部の四道と京城(漢城)を朝鮮国王に返還する(=裏を返せば、朝鮮南部の四道は日本が領有するという意味)
五、 朝鮮より王子・大臣一両人を人質として差し出させる
六、 前年に生け捕りにした朝鮮の二王子は、朝鮮側に送り返す
七、 朝鮮国王の重臣が、代々日本に背かないという誓詞を書く

明は認めませんでした。

秀吉の気持ちをリーディングで感じたままを書きますね。秀吉は明に何を求めていたのか?です。

「朝鮮の戦力はあまり強くないというのはわかっていたので、そう難しくないだろう、その経路をたどれば土地も増えるし、明との交流も陸続きとして海で繋がるより戦士たちにも優遇となる。あそこの文明を自分の物に出来るのはとても楽しみである。あとは戦力となれば、明の首都を落とせば大きな土地を手にすることが出来る。大きな土地はお金と同じだ。日本の国が広がるというもの。こんなに大きな夢はないだろう」と思っていたように思います。
この野望は最初に侵略しようとする気持ちが湧いたときではないかと。

7か条を出す前ですね。
でも、想うように事は進まず、7か条を出さざる得なかったと言う所なのかな?と思います。

これは私のリーディングです。史料に残っている秀吉の言葉を再現したものではありません。

結局、文明と領土と権力を巨大化する夢は実際は叶いませんでしたが、日本の土地にも限りがあることを知った秀吉はもっと土地が欲しい、そうすることで食料だけでなく、土地を分配できれば武力も強くなると願った結果ではないでしょうか。

史実を調べた上で、私には秀吉の思考がこのように感じられました。