弥生時代って?
昔、習った弥生時代と今定説になっているのと歴史は変わりました。
弥生時代の始まりは、九州北部で水田稲作が開始された現代から約2800~2900年前に遡ります。
従来の年代だと紀元前500年と習ったのに、修正が紀元前900年頃というこということにもなります。
検査機分析の誤差は50年から100年と言われており、信ぴょう性は高いといわれています。
また弥生人についての研究も進んでいます。
実は現代の韓国人よりも縄文人のDNAが強かったといわれているのです。要するに大量に渡来人が来たことにならず、稲作も同等なことを言われています。
従来の定説では、渡来人は現代の韓国人や中国人に近い遺伝的特徴を持つとされてきました。しかし、近年の最新DNA解析はこの見解に修正しています。
「福岡県の安徳台遺跡から出土した弥生時代中期の女性人骨の核DNA解析結果は、縄文人のDNAを現代日本人と同程度に持っていました。
これにより、渡来人が必ずしも縄文人とは遺伝的に完全に異なる存在ではなかったことが示されました。」
どういうことかというと、渡来人=外国人 という事ではないと言えるようです。
「また、韓国南部の釜山郊外から出土した約6000年前の古人骨DNAも重要な発見があります。
このDNAは現代日本人と同程度に縄文人の要素を含んでおり、現代の韓国人よりも日本人に近いものでした。」これは衝撃的です。
古代稲のDNAの解析結果から分かったことは、日本に稲作が伝わった約3000年前よりも以前の痕跡は朝鮮半島では一切、見つかっていません。「弥生の渡来人」なるものが日本に稲作を伝え、弥生時代の文明開化につながったという従来の説が覆されたことになります。
朝鮮半島南部で見つかっている約2000年前から約1500年前の遺跡の水田跡は、その方式から見て、水田跡は朝鮮半島の北部では見つかっておらず、南部にのみ存在するということは、北部からやって来たものではなく、南部からやって来たものであることを物語ったという事です。推測されるのが九州からです。
では、どこから、日本へ稲作が伝わったのかですが、中国本土の伝来したことがわかりました。
大阪や奈良で見つかった弥生時代後期の紀元前3世紀頃の米のDNA分析を行ったところ、その種の遺伝子型(RM1-a、RM1-b、RM1-cの3種類)は朝鮮半島には存在しないものが含まれており、長江流域の種であることが判明しました。もっと細かくデーターがあるのですが、結論から言うと大量に稲作が入ってきたわけではなく、見つかっている遺伝子は8種類あり、そのうちの3種類しか日本へ入ってこなかったからです。しかもそのうちの一種類は朝鮮半島からは見つかっていません。朝鮮半島からではないのは明らかになります。
私が習ったのは稲作は朝鮮半島から伝わったという事でしたが…なんか適当に習っていたんだな~と思わずにいられません。
歴史はどんどん書き換えられていくって本当ですね。
さてさて、もうひとつ、弥生時代の土器と一緒に出土した鉄器があることです。
時期がBC800~900年という事になると大陸での鉄器が普及し始める春秋戦争時代 (中国史において紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代) よりも日本国内の方が古いことになり、大陸と日本交流の関係など見直す必要が出てきたといわれています。
この年代が事実だとすると鉄の伝来・大陸との交流史ひっくり返る真実であり、にわかに結論とするより、もっと検証が必要だとされています。2003.7.13
もう一つ、研究プロジェクトに冠された「ヤポネシア」というのがあります。
これは作家の島尾敏雄が提唱した概念で,ラテン語の「日本(ヤポニア)」と「島々(ネシア)」を組み合わせた造語です。
2018~2023年に実施された国の大型研究プロジェクト「ヤポネシアゲノム」によると、縄文人のミトコンドリアDNAには西日本から琉球列島に多いタイプと、北海道から東日本に多いタイプがあるとわかり、縄文人は均一な集団ではなく、複数のルートを通じて日本列島に到達し、地域ごとに異なる特徴を持っていたことが示されました。
東アジア全体の広範な移動と混交も、稲作文明の伝来と密接に関連していますので、容易な問題ではないと言えます。
また、中国北東部の西遼河流域の古人骨DNAには、朝鮮半島の古代人や渡来系弥生人との共通性が見られたといわれています。
弥生時代が500年遡れると国立歴史民俗博物館で発表
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://infokkkna.com/ironroad/dock/iron/4iron02.pdf
ん・・・結論、難しいぞっと。ただ、中国本土と弥生人についての当時の交流については結論がつけないところです。ただ、朝鮮半島から稲作が伝わったのではないということだけは間違いなさそうですね。
皆さんも調べてみてください。
私がかつて縄文時代をリーディングしたのは、ポリネシア地域から日本へ渡ってきたというのはみています。色も浅黒く、着るものも薄いものだったからです。
船で渡ってきていました。大きな船ではなく、少人数で、本人たちも日本を目指していたわけではなさそうに見えました。
大雑把な質問なので、おおざっぱな答えにしかならず。
弥生時代は複雑になってくるので、細かに〇〇遺跡の〇〇の住民の生活とかかなり細かくしていかないと、複数のルートがあったり、複数の答えがあると、答えも一つではないわけで、そうなると、どこを見ているのやら?となりかねないし、大雑把になりがちです。
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稲作についてのリーディングです。2020-06-24 fc2
人物ではありませんが、縄文時代から弥生時代になると歴史では習いました。
区別は稲作が出来るようになった時代という括りです。
突然稲作が出来るようになるわけではありません。
最初は稲作の方法を知らないのに、知り得たのはどうやって?
そんな疑問を持っていました。
あんな小さなお米は最初は能率が悪く、食べる事をどうして考えついたのか。
リーディングしてみました。
すると鳥たちが野生のお米を食べています。まるで雀のような姿のビジョンが見えてきます。
それを見ていると、人は、鳥たちが食べているので毒のものではないという事を知ります。
まして、大量な鳥たちが食べているのを見ると、とても美味しいのだろうと想像している人間たち。
それなら食べてみようとなったのが、最初のように思います。
生で最初は食べていた事でしょう。固くて、殻も付いているので、食べてもおいしいとはならなかったと思いますが、ここで偶然が重なっていきます。
雨でふやけている米は大きくなり、少し柔らかくなる。
殻をむいたら苦みがなくなった。殻を口の中から捨てなくて済むし。
お湯で湯がいたらどうなるんだろう?というアイデアの発展から、色々な試行錯誤をしていくうちに、現在のような作物として発達したのではないでしょうか。
現在も、沢山実る方法、美味しくなる方法、食べやすくなる方法から、料理の発達へと求めていくのでしょう。
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でした。
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