人物,歴史

Thumbnail of post image 160

永松久秀の位は 従四位下 弾正少弼(だんじょうしょうひつ)/山城守
一色藤長の位は 従五位下 式部少輔(しきぶしょうしょう)
です。

永松の方が位は上です。前回の内容で、私が「一色の方が松永を操っていた」と ...

人物,歴史

Thumbnail of post image 158

松永久秀 この方「日本史上最悪の男」と言われています。「秀吉兄弟」で竹中直人さんが演じていました。
官職名から松永弾正(だんじょう)でも名乗っています。
何をもって、「日本史上最悪の男」そういわれているのかをまとめてみ ...

人物,歴史

Thumbnail of post image 104

2005/9/22(木) 午後 2:46
21年以上前にイエスキリストをリーディングしていました。

何も歴史的なエビデンスは残されていないものを見ているので、私もこれは果たして大丈夫か?なんて思います。
当 ...

人物,歴史

Thumbnail of post image 008

壱与(いよ)は卑弥呼の後、13歳で女王となり倭の国を守ったと言われている人です。またの名を台与(たよ)といいます。
この方をリーディングしてみました。

お姿は雄の牙が上向きに飛び出している猪の頭蓋骨を帽子のように頭 ...

人物

Thumbnail of post image 183

与謝野晶子と与謝野鉄幹は夫婦でした。しかも不倫から始まる。翌年結婚します。

妻も愛人もいた鉄幹です。略奪婚と言われていましたが、現代では略奪愛といわれています。実際は妻とは別居中であり、愛人林滝野と同棲中の出会いから始まり ...

人物

No Image

雨にも負けず風にも負けず・・・・そういうものに私はなりたい。

と有名な詩があります。
この詩を書いたのは晩年近くの35才です。この頃には病中だったのかもしれませんね。1933年37歳という若さで亡くなりました。

人物,歴史

Thumbnail of post image 162

平清盛(1118~1181年)父平忠盛の長男として京都で誕生しました。
平安時代の終わり近くに、起きた、保元の乱、平治の乱があります。
源氏を討伐するための陣頭指揮を執るさなかの1181年、清盛は突然のあおられるような ...

人物

Thumbnail of post image 199

以前、「田布施システム」についてリーディングしています。知っている人にはわかる内容ですが、わからない人には何の話?となっていたのかな?と思うので、もう一度解説をしながら、リーディングしていきます。

そもそもどうしてそういう ...

人物,歴史

Thumbnail of post image 118

中国の話をするのはいいのか?と考えていましたが、
ちょっと思い出したことがあります。中国の元の紙幣が何故毛沢東なのか?と思ったことがありました。
ある中国人に聞きますと、「毛沢東を使ってやれと思っているからだよ」と言っ ...

人物

国会議事堂

おふたりの総務大臣をリーディングしてみました。

林芳正元総務大臣の性格は「多くを語らず、言わずで過ごすことが一番の得策。人の本音とは探り合いの中である。多くを語る事で得をすることはない」
総務大臣を務めて何を思いま ...

人物

国会議事堂

早急に国会で決まったというのがあります。

「皇室典範等の一部を改正する法律」です。2021年の議論 → 2024年の議論 → 2026年6月10日の取りまとめ → 6月30日の法案 → 7月17日の成立

6月3 ...

人物

ハンマー投げ

2004年アテネオリンピックハンマー投金メダリストの室伏広治氏が現在はスポーツ科学の分野に進んでいらっしゃいます。

スポーツ選手の人達はオリンピックからどういう人生を歩んでいるのかという事が時々気になるのですが、大抵は、教 ...

人物

Thumbnail of post image 003

1949年7月6日の下山事件が続き「三鷹事件」が同年7月15日国鉄中央本線 三鷹駅構内で無人電車7両が暴走して車止めを突破、街頭へ突入し、死者6人、約20名の重軽傷者多数を出しました。
理由は「国鉄の人員整理に反対する労働闘争 ...

人物

Thumbnail of post image 022

武良 茂という名前が本名です。
水木しげる氏はげげげの鬼太郎で有名ですね。彼は第二次世界大戦の時、過酷な戦争体験を重ね、米軍の攻撃で左腕を失いましたが、1958年、貸本漫画『ロケットマン』で貸本漫画家としてデビューしました。 ...

人物

Thumbnail of post image 138

秀吉が朝鮮出兵した1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて、2度行われました。
秀吉の野望としては明との関係を思い通りにしようと考えていたからだと思うのですが、その前の朝鮮に道筋を譲ってくれないかという話が思い ...