瞑想中
正式には瞑想ではなくきっと禅をしているのだろうと思いますが、区別がよくわからないので、瞑想としましょう。
その時、無になるという意識をしていく時間です。なかなか難しいです。煩悩という考えが浮かんでしまうからです。それを意識的に消していく。その繰り返しなのです。
本日瞑想中に、ふと、何故無にならないといけないのだろう?と問いかけてしまいました。勿論、それなりの理由は知っているつもりでした。自分のエネルギーを整えて、自我を消すという練習をしているつもりです。
しかし、自我を消さないとならない理由が「自我があると物事の読み取る力とか、相手の立場ということに立てないから」というのも、自分なりに理解しています
でも、お坊さんたちは何のために修行しているのか?なんて考えてしまったんです。勿論瞑想中は無にならないといけません。
そこで、終わってからリーディングしてみました。社会生活から離れているのに、何故?と。毎日が修行で朝早くに掃除をし、お経をあげて、食事も質素に、毎日同じことの繰り返しをしています。何のために?若い人たちがなんで?と思っていました。
ディスカッション
コメント一覧