田沼 意次

田沼 意次は江戸時代中期、田沼時代といわれていました。

とても男前らしく、大奥との結びつきも強かったと言います。
徳川家重も徳川家治も田沼意次の有能さを見抜き、どんどん出世させていきます。側用人から老中へと出世した人物です。

天災、飢餓で、百姓一揆や打ちこわしが多発して彼の立場はだんだん危なくなってきます。徳川家斉の代になると、田沼に代わって松平定信が老中として実権を握ります。田沼意次の息子であった意知を暗殺したのは松平定信が操っていたのだろうと言われているようです。

さて、格好いいと言われていた田沼 意次はどんな顔?とチャネリング(リーディング)してみます。

若い頃の田沼だと思います。おととっとよろけている姿がいきなり見えてきます。ぶつからないようにすれ違ったのだと思います。
若い頃の姿が見えているようです。粋な若い男性というイメージです。襟もとなどが緩めていて背丈も一般の人より高いように見えました。体つきもがっちりしていて、男らしいというのもわかります。顔は面長でつり目、苦みばしった顔という感じです。整っていると言えばそうかもしれません。

当時なら、こういう人がモテるんだというのもわかるような気がします。ちょっと遊び人にも見えるんですよね~。銅像の顔より、渋い感じでした。

人物

Posted by Meatel