山名持豊

山名持豊(出家し宗全と名乗る)は、細川勝元と並ぶ守護大名として、応仁の乱の西軍の総大将を務め戦国時代に、名を残しています。
将軍足利の後継者争いなどが複雑に絡み合った結果、長年対立関係にあった勝元との間で1467年(応仁元年)に京都で戦端が開かれました。 
持豊は自身の邸宅(西陣)に陣を構え、全国の守護大名を巻き込んで11年間にわたる応仁の乱へ没入していきます。
彼は戦いの最中の1473年70歳にて病死しましたが、この乱により室町幕府の権威は失墜して、下の者が上の者を倒す「下剋上」へと突入するきっかけとなりました。
山名宗全は荒々しい赤ら顔と言われた男ですが、実際どうなのかリーディングしてみました。
晩年の姿です。咳き込んでいるように見えます。風邪なのか?床に臥せていながら体を半分起こして、片側に傾いて、戦略の事を話しているように思います。まだ、戦いの決着がつくようには見えませんし、指揮を執っていたと思います。顔は彫が深く、色黒ですかね?顔色が悪いのかもしれません。
病の為なのか目が割と大きく大変くぼんでいました。角ばった顔ですが、痩せて小さいように見えます。身体も昔の人だからでしょうか。小さく見えます。勇ましい顔というより、整った顔に思いました。

歴史

Posted by Meatel